十一人塚(じゅういちにんずか)
由来
元弘3年(1333)5月、鎌倉攻め新田義貞軍の右翼軍の将・大館宗氏の主従十一名は稲瀬川のほとりで北条軍の攻撃を受けて全員討ち死にした。宗氏は、新田義貞の分家の大館氏で片腕として頼りにしてきた勇将であった。戦いが終わって、義貞は宗氏ら十一人の死を悼み、ここに遺髪を葬り十一面観音堂を建立し、その霊を弔った。今は堂はない
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     十一人塚
所在地とアクセス ・鎌倉市稲村ガ崎1

・稲村ガ崎駅(江ノ電)徒歩3分
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