源頼朝の挙兵(1180)
治承4年(1180)8月17日源頼朝は伊豆韮山で平氏打倒のため挙兵した。頼朝が挙兵した背景には、平氏が朝廷にたいして武力で脅して朝廷の大改革を行った(反平氏勢力の排除が狙い)、平氏によるクーデターである。平清盛をはじめ平氏一門のわがまま、横暴に対して、後白河法皇や藤原一門が平氏を憎むようになり、治承元年(1177)藤原成親、藤原師光、僧・俊寛が平氏を倒す計画を立てた。

しかし計画が平氏側に漏れ、師光は殺害され、他の者は捕らえられ鬼界ケ島へ配流された(鹿ケ谷事件)。後白河法皇は捕らえられた。後白河法皇の第二皇子の以仁王は、この平氏の横暴に耐えかねて、全国の反平氏の武士に決起をおこす平氏打倒の令旨を発した。

頼朝はこの以仁王の令旨により挙兵したのである。頼朝の挙兵に、伊豆、相模の武士たち(北条時政、岡崎義実、宇佐美助茂、佐々木盛綱)
呼応し、平氏方・山木館を攻撃した。初戦は頼朝軍の勝利であった。
                 源氏系図                皇室関連図
 

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