鎌倉の歴史上の主な人物
    北条時宗(ほうじょうときむね)     北条氏系図
北条時宗(1251~1284)は、五代執権・北条時頼の嫡男として建長三年(1251)5月15日に生まれた。得宗の子である時宗には、生まれながらにして強い期待が集まっていた。九歳で小侍所別当、十三歳で執権を補佐する連署となり、十八歳の若さで第8代執権に就任。しかし時宗を待っていたのは、かってない国難であった。文永十一年(1274)の文永の役と弘安四年(1281)の弘安の役の2度に渡る元軍の侵略攻撃であった。

御家人以外の武士にも出陣を要請。元の国使を処刑したり、派兵を計画したり、防塁を構築したりして、又、神風の台風の恩恵もあってこの難局を乗り切った。その他時宗は腹違いの兄・時輔らの対抗勢力を討ったり、幕府に批判的な日蓮を処刑しようとしたり、専制的な面もあったが、一方禅宗に深く帰依し、文永・弘安の役で亡くなった敵味方の霊を慰める為、円覚寺を創建した。時宗は33歳の若さで亡くなったがその生涯は元寇と言う国難との戦いの生涯であった。今、時宗は円覚寺の仏日庵の廟所で眠っている。
     北条時宗像
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