梶原景時の墓
由来
深沢小学校の裏の山裾に梶原父子の墓と伝えられるやぐらがある。五輪塔が四基並んでいる。梶原景時とその子・景季・景高らである。梶原景時源頼朝が平家追討の挙兵時に活躍した有力御家人であった。また景季は宇治川の先陣で知られている。源頼朝が正治元年(1199)正月13日に亡くなると、幕府の政治は13人の有力御家人による合議制で運営された。この13人の中に梶原景時も名をつらねていたが、告げ口屋として、御家人の間で悪評が高く、特に三浦義澄和田義盛畠山重忠らの実力者が中心となって梶原景時を弾劾した。正治2年正月、一族が京へ向かう途中の駿河の清見関(静岡清水市)で、幕府の手先の地元の武士に襲われ、梶原一族は全滅した。
    梶原父子の墓  
所在地とアクセス ・鎌倉市深沢
・鎌倉駅江ノ電バス藤沢行き深沢下車徒歩3分

地図
深沢小学校の敷地内のため許可必要
      

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