由来 今の巨福呂坂はトンネルを掘ったあと、切通しは道路になってしまっているが、昔は巨福呂と書き、今の西側の山を越えていく道であった。巨福呂坂切通しは鎌倉七口の切通しの一つで、鎌倉幕府三代執権・北条泰時が延応2年(1240)に防衛と人の通行、物資の輸送の便を図る為に、深い切通しを造った。鎌倉幕府最後の日、元弘三年五月、鎌倉攻めの新田義貞軍の将・堀口貞満、守る北条軍の将・長崎高重で、両軍の激突は物凄く、19日から22日まで烈しい攻防戦が展開されたのが巨福呂坂の戦いであった。
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