便利帳 地図 歴史 史跡 人物 行事 散策 みやげ リンク
            大江広元・島津・毛利氏祖の墓所  
由来
源頼朝の墓所の右奥の山腹に玉垣に囲まれて3っのやぐらの墓がある。真ん中に鎌倉幕府の要職を務めた大江広元の墓がある。

左右には北条対三浦の戦い(宝治合戦)に,三浦に組して法華堂で三浦一族と共に自刃した島津忠久毛利季光(大江広元の四男)の墓がある。島津も毛利も後にも手を結んで行く事になった。島津忠久は薩摩藩主・島津氏の祖である。

比企義員の娘・丹後局(頼朝の愛妾とも言われた)が生んだといわれている。したがって,島津家の系譜も,忠久を「頼朝の庶子」としている。墓の下方に三浦一族の墓もある。
 見所
島津忠久の墓所
島津忠久は、九州島津氏の祖で、源頼朝の子ではないかとされているが定かではない。
江戸時代には、島津藩主や家臣が墓参したという。

・大江広元の墓所
大江広元は、源頼朝の政務の側近として「政所別当(長官)」を務めた人物。
毛利季光の墓所
毛利季光は、大江広元の四男三浦泰村の妹を妻とし、宝治合戦では三浦方につき、三浦一族と共に源頼朝の法華堂で自刃した。

歴史リンク 大江広元の歴史背景と時期を表示します
           
歴史リンクへ
基本情報            アクセス JR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩20分
住所 鎌倉市西御門2丁目
地図 地図へ
WEB情報  大江広元Wikipedia
主な周辺情報
(画像がリンクします)       
        
鶴岡八幡宮       大蔵幕府跡  源頼朝の墓

   名所一覧へ戻る