由来 鎌倉の腰越にあるこの寺は、天平16年(744年)僧・行基が開山した寺で、京都大覚寺派真言宗です。この寺は、源義経の腰越状で世に知られた寺である。源義経伝説を語る際、満福寺は絶対に落とすことは出来ない。一の谷、屋島、壇ノ浦と次々に平家の軍を破って、平家を滅ぼすという大手柄を立てた源義経であったが兄・源頼朝とは方針が合わず、元歴2年(1185)5月、源義経は平家の捕虜を同行し兄・源頼朝に面会するために、京から鎌倉へ向かったが、源頼朝は義経を鎌倉に入る事を許さなかった。 しかなく源義経は腰越の満福寺に逗留し、元歴2年(1185)5月24日、義経は一通の嘆願状(腰越状)を書き、源頼朝の信望の厚かった公文所別当・大江広元に差し出し申し開きをするが、それも空しく、ついに鎌倉の門は開かれなかった。義経はそのまま京へ帰り、奥州・藤原秀衡を頼って姿を消した。4年後、再び満福寺に戻った時に、義経は一個の首に成り果てていた。藤原氏4代目・泰衡の裏切りによって命を落としたのである。 |