| 由来 鎌倉七切通し(鎌倉七口)中で、最も良く昔の姿をとどめている切通しです。延応19年(1240)、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時により鎌倉と金沢・六浦を結ぶ道として開削された。鎌倉幕府侍所の初代別当となった和田義盛の三男・朝比(夷)奈三郎義秀が、その強力で一夜にして切り開いたとの伝説から、その名前がついたと言われる。「吾妻鏡」には延応19年11月に鎌倉幕府は新道造営を決め、翌年4月に着手したが難航し、5月に北条泰時、自ら現場に乗り込んで指揮をとり、僅か一年で完成させた。六浦港からの物資がかってこの切通しを経て鎌倉に運ばれた。また、六浦付近で作られた塩も運ばれ「塩の道」としても知られた。当時は、毎日大勢の人の往来で賑わったこの道も、現在は新道が出来て、今は通る人もめったにいない。深い切通しの道は往時の雰囲気を良く残しています。 |