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                      勝長寿院跡(しょうちょうじゅいんあと)
由来
源頼朝は鎌倉に大きな寺を3つ建立した。鎌倉八幡宮寺、永福寺とこの勝長寿院である。これらは3大寺院と言われた。

勝長寿院は中でも極めて壮大であり、今でも大御堂の地名が残っている。源頼朝の父・源義朝平治の乱で破れ、鎌倉への帰路、知多半島内海で殺害された。文治元年(1185)、父・源義朝の菩提を弔うために、この地に勝長寿院を建立した。

同年9月3日に源義朝と忠臣・鎌田正清の首を埋葬した。勝長寿院には本尊・金色阿弥陀仏像をはじめ、阿弥陀堂、法華堂、三重の宝塔などの荘厳な伽藍が建ち並んでいた。源氏の菩提寺的存在であった同院は、幕府や関東公方の保護によって寺容は整えられた。将軍・実朝はしばしば同院を訪ね、何首かの歌を残している。

承久元年(1219年)、実朝が公暁に殺害されると火葬にして同院に葬られた。北条政子は実朝追福のため、同院の傍らに五仏堂を創建し、運慶作の五大尊像を安置している。嘉禄元年(1225年)に政子が没すると同院で火葬にされた。この寺は康元元年(1256)12月の火事で消失したが、正嘉2年(1258)、北条時頼によって再建された。鎌倉幕府滅亡後も足利氏によって保護されたが再び焼失してしまい、その後廃寺となった。

 
 見所
 
勝長寿院跡の碑 源義朝鎌田正清の墓
歴史リンク 勝長寿院跡が創建された歴史背景と時期を表示します。
              
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基本情報            アクセス 鎌倉駅東口徒歩25分
住所 鎌倉市雪ノ下4丁目
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駐車場 なし
主な周辺情報
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