円覚寺塔頭      黄梅院  
由来 
臨済宗円覚寺派。鎌倉幕府第八代執権・北条時宗の夫人・覚山尼が時宗の菩提を弔うために建立した華厳院の場所に足利氏が文和三年(1354)に創建した夢想疎石の塔所(高僧の墓所)。足利尊氏の帰依を受け、五山文学の隆生に功績を残した疎石の塔所だけに土地などの寄進も少なくなかった。黄梅院は疎石を師とする夢想派の関東における拠点となった。五山文学は鎌倉時代から江戸時代の初めにかけて、京都五山、鎌倉五山の禅僧によって書かれた漢詩文を言う。応安元年(1368)には室町幕府・二代将軍足利義詮の遺骨が分骨された。これによって黄梅院は足利氏の菩提寺としての性格を帯びることとなった。
       黄梅院 
見所 ・絹本着色夢想国師像(重文)
花暦 (1月)ロウバイ(2月)椿(3月)はくもくれん
所在地とアクセス 鎌倉市山ノ内
円覚寺境内、北鎌倉駅徒歩10分
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