木曾義高の墓 
由来
木曾義高は木曾義仲の嫡男。源氏一族の木曾義仲も源頼朝と同じく以仁王の令旨を奉じて治承四年(1180)に挙兵していた。木曾義仲27歳であった。源頼朝と木曾義仲は従兄弟。源頼朝と木曾義仲は対立状態となった時に、寿永二年(1183)三月に嫡男・義高を鎌倉に人質として送り和議をした。頼朝は木曾義高と娘の大姫を婚約させた。義高11歳、大姫5歳の時であった。

しかし木曾義仲の没落で状況が一変し、将来の禍根を絶とうと頼朝は義高の殺害を決意した。北条政子は、密かに義高を逃がしたが、追っ手に捕らえられて討たれた。未来の夫と成るべく義高が父・頼朝に殺されたと知った大姫は、悲しみの余り病に伏せる身となり父・頼朝の薦める縁談にも耳をかさず、鬱々とした日々を過ごすばかりであった。

頼朝は建久六年(1195)になると、妻・政子、嫡男・頼家、大姫を伴って2度目の上洛を行った。大姫の入内である。しかし建久八年に大姫は20歳の若さで死去。父の犠牲になった哀れな生涯であった
常楽寺の裏山に木曾義高の碑と墓がある。また大姫の祀ってある岩舟地蔵が亀が谷切通しの近くにある 

                            歴史リンク
      木曾義高の記念碑 
見所 ・木曾義高の記念碑
・木曾義高の墓
      木曾義高の墓
所在地とアクセス 鎌倉市大船
大船駅江ノ電バス常楽寺下車徒歩1分 
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