 | 古都鎌倉の歴史を訪ねて (北条氏散策歴史散策) 北条氏系図
歴史年表 |  | | 鎌倉幕府、北条氏の時代を訪ねて |
正治元年(1199)に源頼朝が亡くなると鎌倉は、梶原景時の粛清(1200),比企能員一族の討滅(1203),第2代将軍・源頼家の修善寺での幽殺(1204),畠山重忠一族の討滅(1205),和田義盛一族の討滅(1213),そして第3代将軍・源実朝への源頼家の遺児・公卿による暗殺(1219)、さらに第4代将軍・藤原頼経(当時2才)をかつぎだし(1219),その上に承久の乱(1221)の乗り切りと北条氏の仕掛けた大小の陰謀により,源頼朝の後継ぎの源氏の血筋は絶え、また源頼朝の挙兵以来の有力御家人も居なくなり,北条氏の前にはもはや邪魔者は居なくなっていた。 源氏の正統は鎌倉幕府の誕生から27年、僅か3代で途切れ、北条氏による執権政治が始まった。源氏が滅亡した後、幕府の実権を握ったのが頼朝の正室・北条政子とその弟・北条義時であった。北条義時は「執権」となり鎌倉幕府を支配し、義時の子供の鎌倉幕府第3代執権・北条泰時の時代に武士の法律と言われる「御成敗式目」が作られ,また鎌倉大仏や,港の和賀江島や道路の朝比奈切通し等,鎌倉の基盤が整備され隆盛を迎えた。そして鎌倉幕府第5代執権・北条時頼の時代の宝治元年(1245)に起こった宝治の乱で強大な勢力の三浦一族が滅亡し,北條執権の権力が最高潮に達して独裁性が強まり、安定政治を行った。また建長寺が創建され禅宗が盛んになった。 しかし第8代執権・北条時宗の時代に文永の役[文永11年(1274)],弘安の役[弘安4年(1284)]と2度にわたる元寇があり,その対応で財政が悪化し幕府は衰退の道をたどり始めた。第14代執権・北条高時の時に後醍醐天皇の幕府追討の令旨に呼応して立ち上がった新田義貞の鎌倉攻め[元弘3年(1333)]で150年にわたる鎌倉幕府はついに滅亡した。 ここでは、頼朝時代の有力御家人達を次々と倒して北条氏が「執権政治」を確立していったゆかりの地と九代に渡って築いた足跡を辿ります。 | |
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8分
江ノ電長谷駅
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